2001年6月22日(金)開演19時/グリーンホール相模大野多目的ホール
今回、ゲキチ先生が来日できる事となったのは、本日『ダンテを読んで』を演奏する、関野直樹氏と、その恩師であり、招聘元でもある芦川紀子先生の御尽力の賜物であります。プログラムから、その経緯を抜粋させて頂きました。
1999年夏、私は教え子の関野直樹君とともにウィーンに滞在していました。彼が修士論文の勉強に私の部屋に来ていた日、電話のベルが鳴りました。少しハスキーな声、マイアミから、ケマル・ゲキチ氏からの電話でした。彼は関野君のあこがれのピアニストで、何とか一度彼にピアノを聴いて欲しいという願いを込めて、ウィーンに来る前に私は戦渦のユーゴに手紙を書きました。しかし返事はなく諦めていたところへの電話でした。手紙は紛争の最中、2ケ月をかけて転送されたのです。99年3月ゲキチ氏はマイアミのPiano
Festival of Discoveryに招かれ、紛争勃発のその日、家族の消息も分からないまま劇的な演奏会となったそうです。この演奏会を契機にマイアミに住むようになったということでした。翌2000年の2月同じフェスティバルに参加しながら、私達はケマル・ゲキチを訪ねました。96年に関野君が届けた手紙は彼のファイルに保管され、演奏家としてどうあるべきかという貴重なレッスンを受けることができました。以来交友が続き今回の来日へとつながったのです。
芦川先生のナレーションの後に、ゲキチ先生の登場である。プーンとコロンの良い香りと共に、紀尾井ホールと同じ服装で。素晴らしい緊張感と熱情は変わらないものの、今日はホールとピアノが厳しかった。私が座った場所も悪かったのかもしれないが、残響がゼロに等しく、ピアノの音もSteinwayなのに、いささか変であった。伝説の#2で、ピアノの弦が切れてしまい、早くもハプニングである。10分程中断したであろうか。今後もこのピアノでは不安だなぁ、と思っていたが、ご本人はきっともっとそう思っていたでしょう。ピアニストは大変なのだ。さて、曲の方に話を戻して、前回聴いていないプログラムでは、Schubertの『セレナード』。まさに歌の曲ですが、素敵に歌い上げていました。リスト弾きは技巧ばっかりで歌えない、という批評をなさる方もおられるようですが、こういう演奏を是非聴いて頂き、前言撤回して欲しいものです。Rossiniでは、唸り声と共に激演でした。何回聴いても素晴らしいです。
休憩中、メルシャン・ワインがロビーで振舞われた後、関野氏の登場、細身でスーツに身を包み、精悍な若者でした。今年のリスト・コンクールに出場し、12月にはソロ・リサイタルもなさるそうです。今後の活躍に期待したいですね。関野氏の演奏中、また弦が切れてしまいました。ラストの高音の天国の情景の前だったので、本当に残念で可哀相でした。時間が押しているという事で、演奏会はそのまま続行。
そんな状況をものともしないゲキチ先生の演奏は、終始熱烈で圧倒されました。やはり最後の大曲、『フィガロ』では、唸り声もさらに強まって、迫力に満ち溢れていました。
アンコールは紀尾井ホールと同じChopinでしたが、しっとりと余韻を残し、離れ難い演奏でした。