2001年6月14日(木) 開演19時/紀尾井ホール
降りしきる雨の中、実に5年振りの来日公演である。それでも紀尾井ホールには、大学生を中心にした観客が、多数詰め掛けていた。
開演時間を少しまわった頃、静かに客電が落ちると、ゲキチ先生の登場である。髪の毛を一つに束ね、黒いシャツの上から、玉虫色のシャツを重ね着し、ゆっくりと舞台を進み出る。熱い拍手に迎えられ、前半の長大なプログラム、『巡礼の年 第2年 イタリア』の幕開けだ。繊細な響きが印象的な『婚礼』、『物思いに沈む人』では、ある種、弔いの鐘の如く響き渡る、苦痛な表情がたまらなく切ない。一転して『サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ』では、思わず体が動いてしまう程に楽しくリズミカルである。『ペトラルカのソネット』では、時に甘く、時に激しく、詩的に語る。前半のハイライト『ダンテを読んで』、なんて深い音だろう。地獄のただ中にいるかの如き地を這う音像、悲痛な叫びは彼の実体験をも映し出している。pppの天上の響きは、しかし甘味になり過ぎる事はなく、ある種の希望を描いているようであった。怒涛の如く疾走するfff。手に汗を握る1時間は、あっという間に過ぎてしまった。
15分の休憩の後、後半のプログラム、『伝説』から。第1曲は、高音部の鳥の囀りの何て美しい事!!至福の時だ。対比する第2曲の荒波には、すっかり我々は飲み込まれてしまっていた。
『ハンガリアン・ラプソディー』での民族的な色合いは、ちょっと日本人にはできないものがある。悲哀に満ちた戦慄は、一種北欧的な響きにも似て、是非そちらの方の民族曲も聴きたいものだ、と、ふと思いは馳せる。ダイナミックな低音部の土臭さには圧倒されてしまう。#10のグリッサンドの美しさには溜息ものだ。
『ウィリアム・テル』では、特筆すべきは、やはり、あの超有名なフレーズ以降の突進する馬だろう。ラストの一駆けの直前で、なんと客席をぱっと一瞥し、そして一目散で駆け抜けたのだ!!あっぱれ!!
時間がないからちょっと、という仕草で弾き始めたアンコールはChopinのノクターン#13。あくまでも男性的なChopin像でせまる。後半のメロディーが特に印象的だった。
鳴り止まない拍手に、しょうがないな・・・と、ばかりに、何を弾こうか?と、Rossini-Lisztの『バルカローレ』。朗々と歌われる。
まだ止まぬアンコールに、本当に何にしよう・・・と、Schubert-Lisztの『魔王』。まだ、そんな体力があるのか、という事に驚かされる。Steinwayが揺れる程の熱演、結局終演9時30分という長丁場だが、一時も目を離せず、息も呑む緊張感、迫力の一時だった。